2歳の時に交通事故で右腕を切断。親の熱心さに助けられ、剣道を始めました。
私は2歳の時に交通事故で右腕を切断してしまい、小学校に上がるまでは、入退院を繰り返していました。どうしても家に閉じこもりっきりになりますので、親が何か対外的に人と触れ合うことをさせたほうがいいんじゃないかということで、剣道を始めました。最初は道場に入れてくださいとお願いに行っても断られてしまったんですよね。でも、親が熱心に頼んでくれて、その気持ちが道場にも通じて入れてもらえることができました。
憧れだった上段の構えをやり通して、小学校6年生の時に全国大会で3位に。
剣道を始めてからは、まず自分で紐が縛れないことに直面しました。あとはやっぱり棒を振るという基本的な行為が、うまくできないんです。バランスの面からも試行錯誤を続けるような状態でしたが、続けているうちに自然にできてきたように思います。
私が小学校5年生の時、右腕の手首から先を切断した方で剣道をやっているひとつ歳上の先輩が熊本にいまして、健常者に混じって片腕剣士として全国大会で優勝されたんです。しかも竹刀を頭の上で構える、いわゆる上段の構えというスタイルで。
こんなにスゴい人がいるんだったら自分も上段の構えを取り入れたいと思うようになり、中段の構えから上段の構えに変えました。先生から「やり通せば必ずいい結果が出るんだから頑張れよ」と励まされ、6年生の時には予選を通って全国大会に行けました。自分の目標は、もちろん優勝でしたが、惜しくも準決勝で負けてしまい3位でした。その熊本の先輩の成績を超えられなかったんです。
自分が障がい者であるからこそ、健常者の人には負けたくないと思っていました。
その全国大会では、私が負けた相手が優勝したんです。中段の構えのままだったら、まあ一般レベルには達していたとは思いますが、全国レベルまでは進めなかったと思っています。負けたことで、今度はその相手に勝ちたい、全国1位になりたいという目標ができて、それに向けて頑張るという気持ちが生まれたのだと思います。次に向けてのステップとしては、ちやほやされることもなく3位くらいでちょうどよかったんじゃないかと(笑)。
結局1位にはなれませんでしたが、自分が健常者だったとして、かけっこも速くないし、野球などのスポーツにしても普通にできたとは思いますが、人並み以上にはなれなかったと思うんですよね。剣道と出会って、それを続けることが自分の自信になったという意味では大きな支えだったと実感しています。中学時代には、部活以外の稽古も、ふたつの道場に通いながら、もう勉強なんかはそっちのけで練習練習。親が打ち込み台を自宅に作ってくれていたので、そこでも面打ちの練習をしていました。
高校は、残念ながらスポーツの特待制度では障がい者は行けなかったんです。なので道場の先生が「やる気があるんだったら来たら教えてあげるよ」と声を掛けてくれた高校に一般入試で進学して、剣道を続けてインターハイに出場しました。
自分が障がい者であるからこそ、健常者の人には負けたくないという気持ちが、どんどん芽生えてきたんだと思います。人と同じことができないのが嫌で、じゃあ頑張ろうと。学校の授業でも、家庭科の縫製などでなかなかできない時は、机の下に座って足で抑えて縫ったりしていましたから。
剣道の、自分の隙を打ってもらった相手に感謝しなさいという、美学が好きです。
高校1年生の時には、カナダへ親善大使として訪問もしました。小学生の時の全国大会で私が準決勝で負けて泣いていた時にその大会を見に来られていた、カナダに移住して向こうで剣道を教えている先生との縁からでした。その時に「次は勝って泣きなさい」と私を励ましてくださった方なんです。そこから交流が始まりました。
大学に進む時も高校進学の時と同じで、セレクションでいろいろな大学にも行かせてもらったのですが、結局どこにも入れませんでした。「大学っていうのは片腕で勝てるほど甘い世界じゃないよ」と。なので、一般入試で国際武道大学に入学しました。なんと剣道部員は1年で100人、4学年で400人もいたんです(笑)。日本で一番多い部員数でした。
4年間剣道をやりきれたと思っています。私、スポーツと武道は違うと思っているんです。スポーツは、やはり勝つことを目指してやるものです。でも、剣道は不思議なもので、打たれた時には自分の隙を打ってもらったんだから感謝しなさいという思いが常にあるんですね。そこには礼節があるんです。心の修行です。そういう剣道の美学が好きなのです。ですから、剣道は私にとってスポーツではなく、やはり武道なんです。もちろん、そのふたつが重なっている部分はありますが、別物なんですね。
他のスポーツでは、小学校の時に少しやっていたこともあり、大学時代からは遊びでスキーを始めました。私が大学生の頃に大ブームだったということもあって(笑)。そのスキーがきっかけになり、スポーツを通じて障がい者のバックアップができる仕事ができればと考えるようになったんですね。
自分自身もスポーツが大好きですし、スポーツメーカーに入って何かできないかと考え、ゴールドウインに入社しました。
今は水泳の大会に出ていて、やがてトライアスロンに挑戦したいと思っています。
ゴールドウインは、本当にいい会社だと実感しています。モノを作る楽しさを仕事を通じて実感できていますし、できあがった商品がよく売れていると聞くとやっぱり大きな喜びを感じます。
今は剣道はたまにやるくらいですが、そのための体力づくりで通うようになったスポーツジムで水泳をやるようになり、そこから水泳の大会に出るようになりました。
剣道は対人勝負ですから、勝った負けたは相手のせいにして言い訳ができます(笑)。でも、水泳はタイムが全てですから、スタート台に立ってヨーイドンでスタートしてゴールするまでの時間の勝負です。たとえ相手に負けても、自分のベストタイムが出ればうれしくもありますし、それを目指して頑張るわけです。今は週に3回から4回、頑張って泳ぎに行っていますね。土日は、たいてい朝の6時半から練習しています。練習日は、なぜか早起きできるんですよね(笑)。いずれ大きな大会に出ることも、気持ちだけは持っているつもりです。そして、トライアスロンにもチャレンジしてみたいです。
障がい者がスポーツを通して、できる喜びを実感していくことは、これができたらあれもできるはず、という気持ちの芽生えにつながると思うんです。スポーツが、前向きな気持ちのきっかけになり、生活の中で目標になっていくことを、仕事も含めて大切にしたいと思っています。
- 池田浩昭(いけだひろあき)
1970年、茨城県結城市生まれ。1993年、ゴールドウインに入社。最初の配属でアウトドア商品課に入りTNF、ラテラ、GWスポーツ、GWスキー、そしてC3fitと商品部一筋に数多くのブランド事業に携わらせて頂き、そのたびに色々な経験させて頂くことができた。小さいころから体を動かすことが大好きで、ひとつのスポーツにのめり込むタイプ。
今は水泳にはまっている。マスターズ大会に一緒に出る方募集中!