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スポーツのチカラに引き寄せられて

スポーツが持つチカラ、スポーツを愛する人が持つチカラに引き寄せられて
実現する様々な人たちのインタビュー。そこには SPORTS FIRST な精神が息づいています。

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スポーツから学ぶ「工夫する生き方」
松田丈志

2015.03.31

Speedoの販促であり自身もスイマーの渡邊祥子が松田丈志選手にインタビューをしました!

アテネ、北京、ロンドンの3大会連続でオリンピックに出場し、個人で銅メダルを2個、リレーで銀メダルを1個獲得した。幼少時は練習環境に恵まれていたわけではなく、ビニールハウスでできたプールに通い、実力を磨いたというエピソードもよく知られている。

ロンドン五輪では水泳チームのキャプテンを務め、第3泳者としてバタフライを泳いだ4×100mメドレー・リレーでは銀メダルを獲得。レース後のインタビューで残した「(北島康介を)手ぶらで帰らせるわけにはいかない」というコメントが話題となった。帰国後はメダリストとして公演などで多忙を極めたが、2012年12月に会見を行い、「もう一度、世界一を目指す」という強い意志を持って現役続行を宣言。

アスリート生活を続けてきて、トレーニングやコンディションの調整方法に変化は生まれたのか? 現役続行と後継者の育成への思いとは? 今年7月に開催される世界水泳の代表選考会を4月に控え、高地トレーニングのためにフランスへと向かう直前に、インタビューを敢行した。

インタビュアーを担当したのは、ゴールドウイン社員にして、スピード事業部にて販売促進を行う渡邊祥子。サポートするメーカーの担当者と選手、そんな間柄でありながら、自身も幼少の頃からスイマーとして育ち、松田選手への思い入れの強い彼女ならではのインタビューをお届けしたい。

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ビニールハウスプールで得たのは「工夫する力」

——松田選手の選手としてのルーツを振り返ると、ジュニアの時代を過ごされたビニールハウスプールのお話が有名です。

松田 たしかに僕が小さい頃に育った場所は、練習できることがありがたいような状況でした。高校生になるまでは温水になるボイラーが付いていなかったので、冬はめちゃくちゃ寒かったですし、手前が深さ1.1mぐらいの浅いプールでしたし。冬場は他のスイミングクラブのプールを借りに行くこともありましたが、その限られた時間の中でどれだけいい練習をするか。そういうことを自然と考えるようにはなりました。

——プールを使える時間が限られた冬には、どういうトレーニングをしましたか?

松田 ボイラーが付くまでは、土日はスイミングクラブの温かいプールを借りて練習もしましたが、それ以外の日は陸上トレーニングやランニングもたくさんしましたね。腕立て伏せだとか、腹筋や背筋とかそういうのを冬場にたくさんやって、温かくなってきたら水に入る時間が増えていく。いま置かれている環境でどうするか、ということを工夫する力が付いたので、例えば今はウェイト・トレーニングは週に3回やるんですけど、筋トレをして泳いだり、その逆パターンをしたり、午前中の練習前にウォーミングアップを兼ねてちょっとロードを走ったりもします。

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——今でも宮崎に帰省すると、ビニールハウスプールに行かれるんですか?

松田 そうですね、帰って泳ぎますね。プールも含めてですけど、地元に帰るとホッとする部分もありますし、地元の方々がいつも応援してくれています。そういう後押しを感じると、多少しんどいことがあってもまた頑張ろうかなと思わせてくれますね。

——去年の11月に記録会で宮崎を訪れて、夕飯をご一緒させてもらったときに地元のヒーローの登場にお店の方の歓迎が熱かったですよね。

松田 みんな知ってくれて応援してくれてるんでね。地元だとどこに行ってもあんな感じなんですよ。

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水泳にはまだ記録の限界が見えていない

——中京大学を卒業して大学院にも進学されましたが、そこで学んだことがどう活かされていますか?

松田 大学で体育学部を出て、大学院では、運動生理学やバイオメカニクス的なことを勉強する研究室にいました。客観的にトレーニングを考えたり、泳ぎの動作をとらえ直すという意味では、すごくよかったですね。

——泳ぎの動作をとらえ直すとは具体的に?

松田 水泳は単純なスポーツですけど、実際には、いろいろな複雑な運動、人間の身体の機能や動作が絡み合って、結晶となって優れたパフォーマンスが生まれます。そのへんに気づけたのがまずおもしろかったです。それと、陸上競技を見てみると、記録がもう人間の限界に近づいているような雰囲気がありますけど、水泳にはまだそういう限界は見えてきていません。まだまだ工夫のしかたはあって、速くなる可能性のある種目なんだと思っています。ジュニアの成長とかを見ていてもそれを感じますよ。

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——ギアの進化もありますしね。

松田 ええ、レーザー・レーサーの登場は衝撃でしたよね。最初は、最近なんかやたら海外の選手が早いなって思って、自分もそれなりにトレーニングをして力を付けていっている感覚はあるけど、海外の選手の伸びが違うと感じたんです。ひょっとして水着が違うのかなと思って、レーザー・レーサーを着てみたときは本当にビックリしました。飛び込んだ瞬間から感覚が違うというか。

——開発途中のテストとかにもご協力いただくようになって、Speedoが出すギアを身につけて泳いでいただいています。

松田 Speedoの開発の担当者の方は、こちらが思いつかないような新しいアイデアを出してくださるので、いつも楽しみにしているんです。もちろん細かい技術的な部分は僕もあまり分かりませんが、着た時の感覚はフィードバックさせていただいています。パーツごとに締める力が違ったりするので、どこがきついとか、お尻のどの部分にフィットするか、シワができるかとか、そういう採寸とフィードバックを繰り返して開発したギアには、思い入れも生まれますよね。

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アスリートに大切なのはオンとオフの切り換え

——子どものころから水泳を続け、アスリートとして競技に関わってきて、ターニングポイントとなったできごとはありますか?

松田 やっぱりアテネ五輪のときですね。自分がメダルまで届かなかったんですけど、メダルを取った選手と自分では何が違ったのかを考えたんです。勝ちたい想いとかは絶対負けてないと思っていました。初めてのオリンピックだったので経験は当然なかったですけど、トレーニングの量も劣ってない自信がありました。そういうところで結果を出す人たちは、オンとオフの切り換えがすごくて、そこに違いを感じたんですよ。

——結果を出す選手たちは、どのような切り換えをしていたんですか?

松田 選手村の部屋でゲームやくだらない話で盛り上がってたりするんですけど、僕はどちらかというと、そういうのをバカバカしいと思って見てたんですね。でも、そういうくだらないと思えるような、リラックスする時間があってこそ、最大限に集中する瞬間があるのかなとそのときに思ったんです。

——何か行動を変えましたか?

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松田 当時は、友だちと会ってご飯食べに行ったりとかはあまりしなかったんですけど、それ以降は、時間があるときには昔からの友だちに会ったりして、やっぱりいいサイクルが生まれるようになったと感じましたね。例えば、地元に戻ると、幼稚園とか小学校ぐらいからの仲間と地元の飲み屋で飲むんですね。何の生産的なものは生まれないですけど、楽しいリラックス時間があって、レースに出場するピリピリした瞬間もある。それら両方が必要なんですよ。

——日常ではオフをどのように過ごしていますか?

松田 オフ? 東京で…最近そういえばちゃんとしたオフがあまりないかもしれないな。ちょっとショッピングに行ったり、夜はご飯に行ったりが多いですかね。地元だったら海も近いんでサーフィンしに行ったり、昼から幼なじみと会ってご飯食べたり。

——水泳して、サーフィンして、水に浸かってばかりですね。

松田 そうですね。休みの日も水に浸かってますね。お風呂も結構好きだし、水の中に入るのが好きなんでしょうね。今日も朝、軽く泳いで、風呂に入ってきたんですけど、その前と後で気分が違うんですよ。昨日が試合だったし、今日は別に泳がなくてもいい日だったんですけど、午後に取材があるのでちょっと切り替えようかなと、そういう感じになりますよね。僕らアスリートは日々実感しているんですが、スポーツが日常化すると、生活に良いサイクルが生まれるんです。友達と夕飯を食べていても、次の日に朝練があれば早く切り上げます。行動のきっかけになるんです。生きていく上で、自分自身の軸にもなる。日々、誘惑ってたくさんあるじゃないですか(笑)。これは運動する誰しもに当てはまることだと思いますね。

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オリンピックという特別な大会で完全燃焼を目指す

——ところで、オリンピックの特別な空気ってどういうものですか?

松田 最初のオリンピックに出て、ひとりで戦うことの限界を初めて感じました。世界のトップと戦おうと思ったら、やっぱり日本競泳チームとして、どんどんみんなでプラスのエネルギーを出して大きくしていくか、ということが個人のレースでも力に変わっていくわけですから。そういう流れを作って、勢いに乗るということが最初は分かりませんでしたが、実際に経験するとチームの雰囲気の影響の大きさはすごく感じますね。

——ロンドン五輪のときには、メドレーリレー後のコメントに日本中が感動しましたし、私ももれなく感動しました。

松田 北島選手とはやっぱり同世代で、ジュニアの頃から一緒にやってきて、たぶん日本の水泳史上で最高のスイマーだと思うんですよ。4つ金メダルを取った人だし、その強い姿、勝つ姿しか見てこなかったし、チームを引っ張ってきた人だとおもうので、ロンドンで個人でメダルを取れていないのを見て、メドレー・リレーのメンバーだけでなく、チーム全体が同じことを思っていました。そういうのが全部力になって、良い結果が出たんでしょうね。

——来年はリオ五輪です。

松田 おそらく最後のチャレンジになると思っているんで、そこで完全燃焼したいというか、自分の水泳人生、選手としての競技人生をやり切ったと思えるチャレンジにしたいです。世界を舞台に戦う楽しさをもう一度味わえたらいいなと思ってます。世界中のアスリートがそこを目指して、そこに懸けて選手生活を送っているわけですから。本当に特別な舞台ですよ。

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  • 松田丈志(まつだたけし)
    1984年6月23日、宮崎県延岡市出身。競泳選手(セガサミーホールディングス所属)。主な競技種目はバタフライ及び自由形。アテネ、北京、ロンドンと3大会連続でオリンピック出場を果たし、北京とロンドンでは200mバタフライで銅メダルを、ロンドン五輪では4×100mメドレー・リレーに第3泳者としてバタフライを泳ぎ、銀メダルを獲得。2012年12月に現役続行を表明。2014年仁川アジア大会では800mフリー・リレーで金メダルを獲得、200m自由形で4位となった。
  • 渡邊祥子(わたなべしょうこ)
    1989年5月7日、愛知県知多郡出身。2012年株式会社ゴールドウインに入社し、現在スピード事業部にて販促関係の職に就いている。4歳から水泳を始め、12歳まではスイミングクラブの選手コースに通い、中学、大学も水泳部と、水泳漬けの生活を送り、水泳に対する想いは人一倍。Speedoブランドの販促にも水泳経験を活かし、自信をもってあたっている。夢はオリンピック・パラリンピック決勝の全てのレーンでSpeedoブランドを身に付けた選手達で独占すること。

(対談写真 松本昇大 / 文 中島良平)

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